日銀に求めるべきは円高対策ではなく株価対策だ(H22.8.29)

―政府・日本銀行に対する非常時の提案


【円安・株安なら原因は国内にあるが、円高・株安の原因は国外にある】
 円高・株安が進んでいる。円安・株安なら日本からカネが逃げ出しているということで「日本売り」であるから、原因は日本経済の側(日本経済の悪化)にある。
 しかし、現在の円高・株安はこれとは違う。円高によって輸出の鈍化と輸出企業の換算悪化が生じ、景気回復が鈍るという予想から株価が下がっているのである。とくにリーマン・ショック後09年4〜6月期から10年4〜6月期までの5四半期の実質GDP立ち直りのうち、4分の3は「純輸出」の回復によるものなので、輸出の悪材料は即景気の悪材料として強く意識されている。
 また、製造業は付加価値ベースでは日本経済の2割に過ぎないが、東証の上場株式ベースでは5割に達するので、輸出に不利な材料はとくに株価に大きく響く。

【円高は米欧のバランスシート調整の遅れによるドル安・ユーロ安の反映】
 この円高の主因は、日本経済の側にはない。米国経済の回復テンポの下振れ予想から生じたドル安と、ギリシャ問題やその飛び火に怯えるEUの二番底懸念から生じたユーロ安によって、円が相対的に高くなったのである。
 日米欧の先進国経済を比較すると、米国とEUは不動産バブルの崩壊によって生じた家計と金融機関のバランスシートの劣化に伴い、家計の消費と住宅投資が弱く、金融機関の信用収縮が続いている。このバランスシート調整の持続こそが、米国の回復予想の下振れやEUの二番底懸念の基本的背景である。
 97〜03年頃の日本には同じ問題があったが、今はない。今年の日米欧の三つの先進国経済の成長率予想で、米国とEUが時間の経過と共に下方修正されているのは、米欧のバランスシート調整が予想外に長引くという見方が強まってきたからで、日本は逆に上方修正されている。
 そうなれば、ドル(米)、ユーロ(EU)、円(日本)の三つの先進国・先進地域通貨の中で、最も下落リスクの低いのは円ということになり、円高対ドル安・ユーロ安という構図になっているのである。

【米欧の円売り協調介入は自国の戦略に反するので応じる筈はない】
 日本としては、景気への悪影響を防ぐため、円高を修正し、株価を回復させたいと考えるのが自然であり、円高対策として、まず頭に浮かぶのが市場への円売りドル買い介入である。しかしよく知られているように、市場介入は日本単独ではなく、各国当局が協調して実施しなければ効果が限られる。
 しかし、6月のG7、G20で明らかになったように、米欧諸国はリーマン・ショック対策で悪化した財政赤字をこれ以上拡大しないため、これからは財政緊縮・金融超緩和のポリシー・ミックスによってバランスシート調整を進め、景気を立て直そうとしている。このポリシー・ミックスは、マンデル=フレミング・モデルから明らかなように、超金融緩和による自国通貨安と緊縮財政による内需停滞が生み出す輸出圧力によって、輸出主導型回復を図る経済戦略であり、内需より外需に依存して回復しようとする近隣窮乏化政策である。
 従って、米国とEUが日本の要請に応じて円売り・自国通貨買いの協調介入をすることは、自国の経済戦略と正反対の政策を採ることとなり、決して応じる筈はない。

【日本の一層の金融緩和による日米欧の通貨切り下げ競争は愚策】
 効果が限られていることを承知の上で、円高阻止の市場介入を日本が単独で行い、市場にショックを与えて、円高の行き過ぎを一時的に止める程度のことであれば、無意味ではないかもしれない。
 しかし、それでは限りがあるので、もう一つの円高対策として、日本も米欧と同じように、財政緊縮・超金融緩和のポリシー・ミックスを一段と強めたらどうかという考え方がある。民主党の政策調査会が「迅速かつ一歩踏み込んだ日銀の金融政策」(8月26日)を求めているのは、この考え方である。菅首相も、恐らくは同じ考えであろう。
 しかし、日米欧の三つの主要先進国・先進地域が、財政緊縮・金融超緩和の同じポリシー・ミックスで、通貨切り下げ・輸出伸長の近隣窮乏化政策を採れば、1929〜33年の世界大恐慌の通貨切り下げ競争と同じことで、どこの国の通貨も切り下がらず、輸出も伸びず、財政緊縮による内需停滞だけが残って、世界同時不況となるであろう。
 一層の超金融緩和で円高を阻止しようという日本の発想は、世界経済全体をみていない、島国的、近視眼的な考え方である。

【現在の円相場の変動は異常な円高水準ではない】
 急激な為替相場の「変動」は、国際的な貿易・資本取引の採算を狂わせ、経済に攪乱的な影響を与えるので望ましくない。短期間の変動幅を小さくするための一時的な市場介入が正当化されるのは、そのためである。
 しかし、為替相場の「水準」を市場介入によって人為的に誘導することは、国際的合意に基づく協調介入でなければ成功しないし、正当化もされない。
 そもそも現在の円相場の水準は、国際的に合意される程「異常な円高水準」であろうか。日本銀行が試算している円の実質実効為替レートによると、下のグラフで確認できるように、現在の水準は07年中頃の円安のボトムに比べれば30%の円高水準であるが、99年末の円高のピークに比べれば20%の円安水準にあり、ほぼ過去15年間の平均水準に等しい。



 日本の製造業(日本経済の2割)は、輸出の円建化、海外工場へのシフトなど多くの円高対応を既に実行している。また非製造業(日本経済の8割)は広範な輸入品活用で円高メリットを享受している。また製造業・非製造業を問わず、円高を利用して海外優良企業の買収や資本参加を活発化している。
 円高はマスコミが伝える程不利な話ばかりではない(詳しくは、このHPの<最新コメント>“円高とデフレが日本経済の構造転換を促し将来の発展方向を示す”H22.8.30参照)。

【日本のPERの低下は金融政策にとってある種のシグナルではないか】
 円高・株安による景気の先行き不安に悩む日本において、適切な円高対策はないとなると、残るのは株安対策である。
 バランスシート調整に悩む米欧よりも日本の経済条件が良いため、日本の企業業績は大きく回復している。それにも拘らず日本の株価が欧米並みに下がるのは、海外投資家の運用がグローバル化しているためである。米欧の株価が下がれば、その損を埋めるために日本株の利喰い売りをするので、日本の株価も外資の売り圧力によって米欧の株価と同じように下がってしまう。
 このため、日本株は企業業績に比して異常に低下し、PER(株価収益率)は従来のトレンドに比してかなり下がっている。
 株価は、金融政策の効果波及経路に存在する重要な資産価格である。87〜89年に株価が異常に上昇した時(バブルの発生)、日本の金融政策は効果波及経路上に重要なシグナル(危険信号)がでていたにも拘らず、これを無視して引き締めに転じなかった。このため、90年代に入って株価暴落(バブルの崩壊)が生じ、経済は「失われた10年」に陥った。
 この苦い経験を想い起こすならば、株価の異常な下落についても、金融政策は何らかのシグナルとして注意を払うべきではないか。企業業績を無視した株価の下落が、年金基金の運用成績の悪化など国民の金融資産を減価させる逆資産効果で景気を悪化させ、あるいは海外からの日本の優良企業の買収を容易にして、日本経済を劣化させるリスクがあると思うのならば、それを事前に防いだ方がよい。

【外貨や長期国債ではなく株式の購入を考えよ】
 日本銀行が円高・株安対策として買う資産として、ドルなどの外貨(市場介入)は不適切であることは既に述べた。
 政府・民主党が要望する一層の金融緩和となれば、普通は長期国債の買い増しである。しかし、長期国債の価格は、利回りが一時0.9%を割る程までに上昇している。一層の金融緩和でこれ以上日本銀行が長期国債を買い進み、値上がりすれば(一種のバブルかもしれない)、将来経済が正常化した時、長期国債が暴落して金融機関などが大きなキャピタル・ロスを蒙る恐れがある。
 では日本銀行が株式を買うのはどうか。これは非常時の異例中の異例である。しかし、かつて64〜65年の山一証券不況の時、日本共同証券(株)と日本証券保有組合に対し、日本銀行は日本証券金融(株)を通じて特融を実施し、株式買い上げ資金を供給したことがある。これは危機にひんした株式投資信託、ひいては金融システムを救い、景気も回復して大成功に終わった。

【selective controlに踏み込んだ日本銀行】
 日本銀行は、長期国債の購入拡大による超金融緩和の行き過ぎリスクを十分に警戒しているようだ。そのためもあってか、日本銀行は昨年12月に新型の資金供給方式(新型オペ)を導入し、また本年5月には成長戦略産業に対する限定的選択的な資金供給方式を打ち出した。成長基盤を強化するため、成長戦略産業に対して、民間金融機関を通じて低利(現在は0.1%)で資金を供給する枠組みである(上限3兆円)。
 これは“selective control(選択的信用規制)”の一種と考えることができる。中央銀行は、特定部門ではなく、経済全体を対象として通貨、信用を調節するのが正統的なやり方であるが、特定部門のパフォーマンスが経済全体のパフォーマンスを大きく左右しそうな時は、例外的に、その特定部門を対象としたselective controlを実施することがある。

【PERの低い株式を買い上げるのもselective control】
 日本銀行は、戦後20年間程、輸出部門に低利資金を順便に供給するため、輸出前貸手形、円建期限付輸出手形などを再割引、担保、買オペの対象として優遇し、民間金融機関の輸出部門に対する融資を低利でリファイナンスした。
 今回の成長戦略産業に対するselectiveな資金供給も、仕組みはかつての輸出手形優遇制度と同じだ。
 そうであるならば、かつての日本共同証券(株)や日本証券保有組合のような株式買い上げ基金を民間の証券、銀行、信託、保険などの出資で作り、日本銀行が日本証券金融(株)を通じて資金を供給し、PERの低い株式を買い上げ、日本の株価を一定のPERまで引き上げるselective controlを実施してはどうであろうか。
 今日の株式は、富裕層だけの持ち物ではない。広く年金基金に組み込まれており、PERが異常に下がるような株価の下落は、年金基金の運用成績を著しく悪化させている。このような国民共通の金融資産の減価が行き過ぎることを防ぐのは、将来の経済安定、ひいては国民生活の安定にとって大切なことではないであろうか。