世界的成長戦略を提唱せよ (H22.8.5)
―『世界日報』2010年8月5日号“Viewpoint”(小見出し加筆)

【菅首相は市場原理主義に戻ったのか】
 3年後の総選挙までは無駄の排除に全力を挙げ、消費税率の引き上げはしないという公約を破り、菅首相が消費税率の10%への引き上げを唐突かつ不用意に打ち出したため、民主党は参院選に大敗し、ネジレ国会という大きな重荷を背負った。この責任は極めて大きく、9月の代表選は波乱含みである。
 「国民の生活が第一」と言ってきた民主党が、「財政再建が第一」に転換したことは、国民の目に大きな裏切りと映った。財政再建を遅らせて市場の信認を失い、国債が暴落したら大変だから、国民生活よりも財政再建が先という理屈は、小泉政権時代の市場原理主義への回帰を思わせる考え方である。これに激怒した選挙民は少なくないであろう。

【巨額の国民貯蓄が国債暴落を防ぐ】
 国債の値下がりで長期金利が上がると困るというのは、金利負担が増える財政の論理である。国民生活の目線に立てば、国債が値下がりして長期金利が上昇すれば、超低金利に長い間甘んじてきた国民(貯蓄者)は大喜びで国債を買うであろう。その結果、日本国債は買い支えられて暴落などは起こり得ない。何しろ日本の家計の貯蓄超過残高は1086兆円(09年12月末)もあるのだ。
 政府債務についても、正しい認識が必要である。09年12月末現在、一般政府(中央政府・地方公共団体・社会保障基金)の債務残高は993兆円とGDPのほぼ2倍に達する。しかし、バランスシートの資産側には、金融資産が467兆円もあり、「純」債務残高はほぼ半分の526兆円である。
 また日本の家計は、前述のように1086兆円の貯蓄超過残高を持ち、国全体としては国内の投資に使い切れず、外国に対して258兆円の資産超過となっている。このため政府債残高786兆円の93%は国内で保有されている上、米国国債まで買い支えている。大幅な対外債務超過で政府債の過半を外国人が保有するギリシャとは、全然状況が違う。

【菅首相の唐突で不用意な発言の背景】
 菅首相が消費税率の引き上げを唐突に打ち出した背景には、次の5点が浮かんでいる。
 @財務大臣時代に財政再建が喫緊の課題だという財務官僚の「良き理解者」に変身した。これは故橋本龍太郎首相と同じだ。A私的ブレーンから、消費税率を上げても雇用増加策に使えば、成長と両立するというアイデアをもらった。B自民党が消費税率10%引き上げを公約したため、同じ事を言えば参院選の焦点がぼけて有利だと誤算した。与党と野党では発言の重みが違うことに思い至らなかった。C消費税増税を掲げて参院選に勝利すれば、政治的に難しい消費税率引き上げを実現する長期政権となり、菅大宰相の名が歴史に残るという政治的野心があった。
 最後に菅首相の背中を押したのは、D6月のG7・G20における財政再建最優先の雰囲気である。日本も消費税率の引き上げで財政再建に踏み出さないと、国際的信用を失うと思い込んだ。帰国後、閣内・党内とほとんど相談せず、@〜Dを背景に自信を持って消費増税をぶち上げた。
 この国際的雰囲気を窺わせるのが、今年のIMF(国際通貨基金)の対日年次審査報告だ。来年から段階的に消費税率を14〜22%まで引き上げ、財政再建に着手すべきだとし、回復が弱まった場合は追加金融緩和を行えばよいとしている。例示として、消費税を15%に引き上げれば(25兆円増税)、GDP比で4〜5%(20兆円強)の歳入増加が生じるという。


【IMF提言は世界同時不況を招く】
 どのようなモデルで推計したのか知らないが、このような粗雑な議論を真に受ける必要はない。もし仮にIMFの提言のように、日米欧の先進国が一斉に財政赤字の縮小に乗り出し、一層の金融緩和で景気を支える戦略を採ったら、世界経済はどうなるか。一国モデルで考えれば、緊縮財政と超金融緩和のポリシーミックスは、金利低下による為替相場の下落と、緊縮財政による内需停滞が生み出す輸出圧力により、輸出主導型成長になる。自公政権下の02〜07年の景気上昇がそうであった。これは、国際的にみると近隣窮乏化政策である。たまたま米欧が不動産バブルに支えられて内需主導型成長をしていたので、この日本の戦略は成立した。
 しかし日米欧が一斉にこの戦略を採れば、世界大恐慌時の為替相場切り下げ競争と同じで、どの国の輸出も伸びず、内需停滞で世界不況となる。今回は新興国・途上国に先進国の輸出が殺到し、その発展を潰し、最後は世界同時不況となろう。

【菅首相は民間投資主導型の成長戦略を主張せよ】
 菅首相は財政再建最優先が生み出すこの危険性を国際会議で訴え、日本の成長戦略を主要先進国も採用すべきだと、胸を張って主張すべきなのだ。地球温暖化ガス削減という共通の目的に向かって、国内ではエネルギー転換、省エネ・省資源型環境・製品の開発を、新興国・途上国には原発や鉄道などのインフラ輸出を、それぞれ促進する成長戦略だ。国際的にも、強い経済こそが強い財政の基盤なのである。