『日本の経済針路』(鈴木淑夫著)を読む (H21.9.23)
―『世界日報』2009年9月22日号<視点・上>・23日号<視点・下>

<視点・上>

【はじめに】
 今月16日、総選挙の結果を受けて民主、国民、社民3党の連立による鳩山由紀夫政権が発足した。新政権は太平洋戦争直前に成立し、戦後も内務省が解体されたほかは温存された官僚主導の「1940年体制(戦前・戦中は国家社会主義的戦時体制、戦後は日本型社会主義体制)」を超克し、事実上の官僚内閣制から政治主導の議院内閣制を確立することを目指している。その実現のためには、衆参両院議員1人1人の、政治家としての深い哲学と透徹した歴史観に裏打ちされた高度な政策立案能力が必要不可欠である。これに資する政策立案の“バイブル”が総選挙直前に岩波書店から緊急出版された。

【経済悪化の原因を究明】
 本の題名は「日本の経済針路−新政権は何をなすべきか」。著者は日銀金融研究所長、理事、野村総合研究所理事長、新進党・自由党の衆議院議員を歴任し現在、鈴木政経フォーラム代表で、本紙のビューポイントでもおなじみの鈴木淑夫氏。本書は民主党への政策提言として書かれているが、今回の総選挙で惨敗した自公両党議員諸氏にも、敗因を総括するための格好の書と思われるので是非、精読をお勧めしたい。
 日本経済は今、「小泉構造改革」の破綻、「出口」の見えない米国発国際金融危機・世界同時大不況の厳しい情勢の下で、容易ならざる事態に直面している。本書はこうした事態がなぜ生じたのか、その原因を実証的に分析するとともに、事態を打開するための骨太の経済政策を提言したものだ。
 本書によると、今日の経済危機の直接の発端は、1997年度予算で橋本龍太郎政権が大蔵省に乗せられて打ち出した、消費税増税を含む合計約9兆円の国民負担増加、公共投資4兆円削減の13兆円にも及ぶデフレ政策にある。90年代に入ってからのバブル崩壊に対処するため公共投資拡大を柱とした財政出動が、タイムラグを伴って企業の設備投資と家計消費の回復に寄与し、94年度以降96年度までの間に実現していた内需主導型の景気回復が、この緊縮財政の発動によって頓挫し、97、98年度の景気後退と山一証券、日本長期信用銀行の破綻など平成金融恐慌がもたらされた。

【政治の問題点も鋭く指摘】
 当時、著者は新進党衆議院議員として予算委員会で97年度政府予算原案の危険性を指摘した(弊紙でも指摘した)が、橋本首相と三塚博蔵相は、@財政再建はギリギリの待ったなしのところにきているA国民の不安を煽るような金融危機の話はしないで欲しい−の一点張りだったという。しかし、96年時点での財政状況は、政府粗債務残高、政府純債務残高の対国内総生産(GDP)比で他の先進諸国と遜色なかったため、財政再建を急ぐ必要はなかった。それを何故、強行したのか。詳細は本書をご覧いただきたいが、本書は筆者の実体験に基づいて官僚の情報に支配された政治の在り方の問題点を鋭く問題視している。
 ともあれ、橋本「財政構造改革路線」の結果、@日本の企業は過剰債務、過剰設備、過剰雇用の「三つの過剰」に再び悩まされるようになり、企業収益をその処理に回さざるを得なくなったので、賃金の引き上げはできなくなったAマクロ的には日本経済の様相が一変し、「強い国」の面影が消えた−のである。
 2001年4月に登場した小泉純一郎政権はこの状況に対して、いわゆる「小泉構造改革」路線で対処しようとした。本書は同路線の本質を、@財政緊縮・金融超緩和A形だけの郵政事業、道路公団、政策系金融機関の民営化−と捉える。そうしてその結果を、05年度以降財政赤字は減少に転じたものの、@日本経済を海外からの攪乱に脆弱な輸出依存型で内需の停滞した体質にしたA公共事業の圧縮、社会保険料など国民負担の増額、地方自治体への補助金の削減で、国民生活と地方が犠牲になったーと総括。それだけでなく、「(極端な超金融緩和政策が引き起こした)円安バブルに伴う大量の資金流出で米欧の住宅バブルの発生に加担し、今回の世界的な金融危機と大不況の原因を作った」と厳しく批判しているのである。

<視点・下>

【金融危機の原因、BIS規制失敗に】
 ここで、本書は米国発金融危機と世界同時大不況の根源的な原因について、サプライ・サイドとディマンド・サイドの両面で詳細な分析を行う(V 米国発金融危機の衝撃)。他書では読むことができない鋭い分析が豊富にあり、注目の章である。
 1、2点挙げると、第一に、今回の金融危機は国際決済銀行(BIS)の自己資本比率規制が預金銀行部門だけを対象にしており、プルーデンス(金融システムの信用秩序維持)政策としては失敗したことが明らかになったということである。
 「預金銀行部門の健全性だけを自己資本比率規制で維持しようとすれば、そのシワは融資の証券化というオフ・バランスシート化によって、資本市場のプレイヤー達に寄り、そこに不健全な金融商品が累積し、『市場型システミックリスク』の温床となる。そこでは、金融商品のリスク評価が正しく行われず、市場の価格発見機能が失われていた」
 著者は金融工学、金融派生商品そのものを否定しているわけではない。「今後のプルーデンス政策は銀行部門、資本市場、不動産市場を一体として考え、そこでのプレイヤー(銀行、証券会社、投資銀行、各種ファンド、保険会社、リート業者など)の健全性を維持することを目的」として再設計する必要があると指摘し、金融の専門家として大胆な提言をしている。
 第二は、膨大な家計の債務が米国経済の立ち直りの足かせになっていることを指摘している点だ。米国の金融危機が日本と異なるのは、不良債務者が企業ではなく、家計であることだ。特に、サブプライム・ローン対象者のように一軒の家しか持っていない場合は、家を差し押さえると家族は路頭に迷うことになり、大きな社会問題になる。返済期間を延長し、家計が所得の中から返済できるようにするしかない。その場合、家計は消費を抑え、貯金していかなければならない。筆者はその額を340兆円程度と推計しているが、その場合、「米国が世界経済拡大のブレーキになるかもしれない。空恐ろしいことである」と警告。

【アジア諸国で自由貿易締結、世界の牽引役に】
 評者の言葉で言えば、冷戦後の米国が金融工学を悪用して築いてきた、海外からの借金で世界経済を牽引する“ドル資金環流システム”が完全に崩壊したのである。筆者は以上を踏まえ、日本の今後の国家的な戦略目標として、新しい公共政策を打ち立てながら市場経済体制を守ることを大前提に、中国という政治体制の異なる大国が存在しているので、“アジア共同体”を目指すのは現実的でないが、ASEAN+スリー(日本、中国、韓国)にインド、オーストラリア、ニュージーランドを含めた包括的な自由貿易協定の締結を目指し、保護主義を排除しつつ、日本を含むアジア経済が(米国を助けながら)世界経済の牽引役になるべきことを提言。
 その方策として、@アジアの新興国・途上国に、日本の高い技術に裏付けされた「スーパー・エコ日本計画」と高齢化先進国の経験に裏付けされた「安全ネット日本計画」の途上国版を技術、資金の両面で提供するAサムライ・ボンドの発行など円の国際化を図り、アジア独自の通貨体制を強化するB「財政緊縮・金融超緩和」から「財政中立・金融正常化」への財政・金融政策の転換C円高をテコにして生活重視の内需主導型の産業構造に転換し、そのために実質国民総所得(GNI)を経済政策の戦略目標にするD大企業を中心に製造業は世界のトップ企業を目指してグローバルな業界再編に挑戦、国内雇用は医療、介護、保育、教育関連で補い、雇用の空洞化を防ぐE体制内改革ではなく、1940年体制の超克という体制間改革に邁進する−など、書評では述べきれない数々の提言を行っている。
 本書は真に骨太の政策提言書と言って良い。なお、評者としてはこのところ、ドルに対する不安から金や原油などの国際商品に資金が向かっている様相を呈していることに危惧を抱いている。米国債やドル、ドル基軸の国際通貨体制に対する信認の低下問題にどう対処するか。また、中国の民主化を前提に、長期的には東アジア共同体は可能ではないかと思ってもいる。さらに健筆を期待してやまない。
(文責・編集委員・野村道彰)