トリレンマと金融政策 (『金融財政ビジネス』2026.5.21日号、小見出し加筆)

【関税政策の憲法違反でイラン軍事侵攻に転換】
トランプ大統領の関税政策は、世界の自由貿易体制を崩しただけではなく、米国にとっても貿易赤字を縮小するどころか、貿易赤字の根因である巨額の長期資本流入=ドル高を促進する支離滅裂な政策であるが(本年2月16日の本欄参照)、憲法違反との判決を受け、これまでの巨額の関税収入を還付するという大きな行政負担と経済混乱が起きている。
 年末の中間選挙で関税政策の成果を誇示する予定が狂い、それに代わる成果を求めて、トランプ大統領はイラン軍事侵攻という暴挙に出た。しかし期待した民衆蜂起=体制転換は起こらず、ホルムズ海峡封鎖が世界的な石油の入手難と価格高騰を招いている。

【1970年代の石油危機で先進国はトリレンマに】
 石油の供給制約による世界経済の危機が初めて発生したのは、第一次石油危機(1973)と第二次石油危機(79)である。この時は、戦後のクリーピング・インフレの中で低価格に据え置かれてきた石油価格を、中東産油国(OPEC)が減産をてこに一挙に数倍に引き上げた。石油消費国である先進国は、貿易収支悪化、輸入インフレ、景気後退の三重苦に陥った。金融引き締めで前二者に対処すれば、景気後退が加速する、かと言って金融緩和で景気を刺激すれば、前二者が悪化する。当時これをトリレンマと呼び、各国のマクロ政策は大いに混乱した。

【金融引き締め先行でトリレンマを克服した日米西独】
 これに学び、第二次石油ショック時には、日、米、西独の3か国は、先ず利上げで輸入インフレの国産インフレ転化と貿易収支悪化を防ぎ、それに目途が付いた後に利下げに転じて景気回復を図り、トリレンマを脱出した。初期の利上げで期待成長率が崩れなかったこの3か国は「強い国」と呼ばれ、政策が混乱し、いつ迄もトリレンマに悩む「弱い国」を引っ張れという「機関車論」が国際会議で論議された。

【ウクライナ軍事侵攻に伴い再び世界インフレ】
 あれから半世紀を経た2020年代に入って、再び同じ事が起こった。1回目は22年2月から始まったロシアのウクライナ軍事侵攻に伴う世界インフレである。欧米先進国は当初様子見をしていたため、輸入インフレの国産インフレ転化が進み、金融政策がビハインド・ザ・カーブとなって慌てて利上げに転じた。しかしこの時は、日本だけが利上げをしなかった。失われた30年で国内にデフレ心理が定着していた当時の日本は、輸入インフレを奇貨としてデフレ心理の払拭を図り、人々の予想インフレ率と基調的物価上昇率をプラスに戻すことに成功した(24年12月9日の本欄参照)。

【イラン軍事侵攻に伴う世界インフレが追い討ち】
 2回目は今日のトランプ大統領のイラン軍事侵攻に伴う世界インフレである。1回目の世界インフレの終息に合わせて徐々に利下げを図っていた欧米先進国は、利下げのスケジュールを中止し、様子を見ている。

【日本に再び輸入インフレの波】
日本は早くも3月の輸入物価が、円ベースで前年比+7.9%と大きく上昇している。日本銀行の4月の「経済・物価情勢の展望」では、本年度の消費者物価(除く生鮮食品)の上昇率予想(政策委員の中央値)が、従来は物価安定目標(2%)とほぼ同じ1.9%であったものが、2.8%に引き上げられた。しかし金融政策は動かず、6月中旬の政策決定会合まで動く機会はない。

【歴史の教訓に従い日本は利上げせよ】
 歴史の教訓に学ぶならば、今回のトリレンマにも、まず利上げで円安を修正し、予想インフレ率上昇に伴う輸入インフレの国産インフレ転化を防ぐべきである。日本経済はマクロ需給バランスと予想インフレ率がプラスに転じてから4年以上経つ。この程度の利上げで景気回復の軌道は崩れないだろう。この利上げは、実質でマイナス1〜2%の政策金利(名目0.75%)をマイナスの領域で若干引上げるに過ぎない。自然利子率(実質)のマイナス0.9%〜+0.5%(注)よりもまだかなり低いのだ(注:「日銀レビュー2026年―J―5」参照)。