「トリプル安」後の失敗から学ぶ (『金融財政ビジネス』2025.11.20日号、小見出し加筆)

【日本は「トリプル安」後に失敗】
 今年の9月は、「プラザ合意」(85年9月)40周年に当たったので、数多くの特集記事が組まれた。その多くは、ここから日本経済の「失われた30年」が始まったように書かれていたが、正確に言うと少し違う。当時私は日本銀行理事、野村総研理事長としてつぶさに事態の推移を見ていたが、日本経済が狂い始めたのは、その2年程後の「トリプル安」(87年10月)からである。

【「プラザ合意」から「ルーブル合意」までは日本経済は順調】
 「プラザ合意」後「ルーブル合意」(87年2月)までの1年5か月は、日独安・米高の金利差縮小でドル安誘導を行いながら、米国からの強い圧力もあって、対米金利差が拡がらない範囲で公定歩合を当時の最低である3%まで引き下げたが、結果的にはこれが日本国内の円高不況の深刻化を防いだ。景気後退は86年11月に底を打ち、成長率は87年4.3%、88年6.2%と加速してきた。

【ドルは安定し西独は利上げ転換】
この間88年のドル相場は安定を取り戻し、89年には上昇に転じた。旧西ドイツの反応は素早かった。88年7月から89年6月まで、為替市場でのドルの落ち着きを見計らって、0.5%刻みで5回公定歩合を引き上げ、超低金利の2.5%を5%に戻した。

【日本国内では蔵相、日銀総裁、財界が利上げ反対】
 当然日本銀行内部でも、営業局担当理事と調査統計局担当理事は、国内の景気過熱を予防するため、西独と同じ利上げ転換を主張した。しかし国際金融担当理事は、ドルに対する円とマルクの影響力の違いを強調して、日本の利上げに反対した。その背景には、「トリプル安」後のG7の会議等で米国要人から強い圧力を受けていた宮沢大蔵大臣と澄田日銀総裁の意向があったのであろう。円高を恐れる財界の意向を背景に、通産省も利上げに反対していた。民間では、米国に逆らえない日本は利上げが出来ないという「永久低金利」の神話が生まれ、不動産担保金融の拡大、不動産バブルの膨張、景気過熱が進んだ(8月21日付本欄参照)。

【日本は為替市場の背後にあるマクロ経済の転換を読めなかった】
 これは88年中のドル相場の安定、89年の反転上昇の原因を読めなかった日本の失敗である。日本は為替市場の短期的な需給にばかり気を取られ、その背景にあるマクロ経済の政策転換の効果を読んでいなかった。米国では当時レーガノミクスが生み出した財政赤字を縮小し、同時に利上げを推進するポリシーミックスの転換が実施され、米ドルの立て直しを図ったのである。財政緊縮・金融引き締めは、為替相場を強くする。

【トランプのマクロ経済政策は関税引き上げによる貿易赤字縮小の狙いと矛盾】
 翻って現在の米国を見ると、トランプ政権は大幅な関税引き上げで貿易赤字を縮小しようとしているが、その一方で、財政政策は大型減税など拡大政策をとっている。大幅な関税引き上げと財政刺激策は、共に物価上昇圧力を生み出しているため、FRBは金利の引き下げを急ぐことが出来ない。これは財政拡大・金融引き締めのポリシーミックスであり、そのマクロ経済的効果はドル高と貿易赤字拡大である。また日米で合意した日本企業の対米投資5千5百億ドルも、ドル高・貿易赤字拡大の効果がある。これも関税引き上げによる貿易赤字縮小の狙いと矛盾する。

【日本のマクロ経済政策は米国の意向に左右されてはならない】
 大幅な関税引き上げにも拘らず貿易赤字が一向に縮まない現実に直面し、トランプ大統領は、早晩、マクロ経済政策の注文を日欧に出してくるかも知れない。しかし日本は「トリプル安」後の失敗を二度と繰り返してはならない。日本のマクロ経済政策は日本経済のためにある。日本経済に今必要な物価高対策と景気支持策の二つを同時に達成するポリシーミックスは、利上げと消費減税(これまでのインフレによる自然増税分の還付)である。