財金は一体か分離か (『金融財政』2008.6.2号)

  日本銀行総裁に白川方明氏が就任してから一か月半以上たったが、政府は空席となった副総裁一名の人事を、未だに国会に提示していない。
  総裁、副総裁の人事案が、これまで参議院によって四名承認されなかったため、政府は日銀人事をこれ以上国会に提示する意欲と能力を失ってしまったのであろうか。それとも、反対した野党に対する見せしめのため、野党が根負けするまで空席を放ったらかしにしているのであろうか。もしそうだとすれば、政府は国会、ひいては国民に対し、日銀人事を提示する義務を放棄していることになる。無能力のためか無責任のためか知らないが、福田内閣に対する国民の支持率が20%前後に落ちてしまったのも無理からぬことかも知れない。
  空席が続いている一か月半以上の間に、福田首相の「財政金融一体論」と民主党の「財政金融分離論」のどちらが正しいのかという議論が、マスコミの中で深まっていないのも残念なことである。野党に反対された政府案を、社説で支持していた主要紙の能力と責任も問われるのではないか。
  財政政策と金融政策は、マクロ経済政策の車の両輪である。従って、財政政策を司る政府と金融政策を担う日本銀行は常日頃から十分に情報を交換する必要がある。現行制度では、財務大臣と経済財政政策担当大臣が、日本銀行政策委員会の政策決定会合に出席し、正副総裁を含む政策委員九名と充分に意見を交わすことが出来る。また日本銀行総裁は、総理の諮問機関で総理自身が議長を務める経済財政諮問会議に出席し、政府の経済政策と日本銀行の金融政策について、充分に意思疎通を図ることが出来る。
  しかし、これ等は政府と日本銀行が充分に情報を交換するための場であり、政府が日本銀行の金融政策を指示する場ではない。昭和17年の戦時立法である旧日銀法では、政府の日本銀行に対する政策指示権が明記され、日銀総裁の罷免権まで持っていたから、金融政策は財政政策を司る政府の承認なしには動けなかった。しかし平成10年に施行された新日銀法では、政府の政策指示権と総裁罷免権が消え、政府には日銀政策委員会に対する議決延期請求権が与えられた。日銀政策委員会は、政府の請求に従って議決を延期してもよいし、請求を否決して議決を行ってもよい。日本銀行と金融政策の独立性はこのようにして保証された。
  財政政策と金融政策は充分に意志を疎通しなければならないが、一方が他方を支配してはならない。財政と金融が「一体」ではなく、「分離」だと言うのはこの事である。
  財政を司る政府は、国債を発行する借り手である。借り手の立場では低金利とインフレが有利である。指示権があると金融政策をその方向に従わせようとする。そのためにインフレを招いた歴史的経験は、古今東西を問わず枚挙にいとまがない。その苦い経験から生まれた「歴史的知恵」が、「財政金融の分離」である。1951年の米国のアコードが有名であり、日本では1973―74年の大インフレ、88―89年のバブルを経て九八年の新日銀法に結実した。
  財務次官が中央銀行総裁に就任した例は他の先進国にもあるが、彼等は回転ドア方式で財務省高官に入っただけで、もともとは学界や民間金融界の出身である。終身雇用制の下で財務省高官にまで昇りつめた日本の財務官僚の場合は、財務省の立場と考え方としがらみが身に染みついているというのが、野党の見方である。