今回の日銀総裁人事の決着を高く評価する(H20.4.9)

【総裁任命はG7における日本の信用低下を防いだ】
 日本銀行総裁のポストが3月20日から空席になっていたが、本日(4月9日)、政府が提示した3回目の人事案(白川方明副総裁・総裁代行の総裁昇格)を衆参両院が承認したことによって、ようやく総裁が任命された。
 白川方明氏の総裁昇格に伴う後任の副総裁に、政府は渡辺博史氏(一ツ橋大学教授・前財務省財務官)を当てる人事案を提示したが、これは参議院で未承認となり、今度は副総裁ポストが一つ空席となった。しかし、二人の副総裁のうちの一人の空席は、総裁の空席とは比較にならない程影響が小さい。
 とくに、4月11日のG7会合に、総裁代行が出席するのか、総裁が出席するのかでは、G7会合における日本の評価に大きな違いが出るところだった。新総裁なら新しい仲間として各国に歓迎されるが、総裁代行では日本の政府と国会の恥をさらすようなもので、各国代表も挨拶に困るし、日本の総裁代行の発言をどこまで信用してよいか迷ったであろう。それは同時に、日本に対する信頼の低下にもつながるところだった。サブプライム・ローン問題で国際金融界が揺れている時だけに、この違いは大きい。

【若き日の白川氏が日本にマクロ合理的期待仮説を紹介】
 白川方明氏は、東京大学経済学部(ゼミは小宮隆太郎ゼミ)を昭和47年3月に卒業し、4月に日本銀行に入行した。幹部候補生は短い本店勤務を経て支店勤務となり、そこでセントラル・バンキングのミニチュア版を学んだ後、本店で本格的な仕事に着く。白川氏は本店に戻る前にシカゴ大学に2年間留学を命じられ、あと半年延ばせば経済学のPh.Dがとれると教授達に評価されていたが、人事部の命令で帰国し、金融研究所の前身である特別研究室に着任した。
 ここで黒田巌(後に理事、現在中央大学教授)、折谷吉治など日本銀行の中心的エコノミストとなる人々と共に、マクロ合理的期待仮説(ノーベル賞受賞者のルーカスやサージェントが提唱)を学界よりも早く日本に紹介、金融政策と財政政策の有効性に関する実証論文を次々と発表した。
 これが「特研に白川という逸材在り」と日本銀行内部に知れ渡る切っ掛けとなり、現実の金融政策や金融システム対策などの企画を行う部門に移された後、めきめきと頭角を現し、最後には理事にまで昇進した。

【昔は政治家に対する説得力、今は国民に対する説明力
 日本銀行総裁の大切な資質として、@金融政策、金融市場、金融システムの理論と実際に精通していること、A国際金融界に知られ、信頼されていること、B政界に知己があり、政治家を説得する力があること、が挙げられることがある。しかし、この三条件の重要性は、昔と今とでは異なっている。
 昔は、今程グローバル化は進んでいなかったので、Aのウェイトは低かった。旧日銀法の下では、政府に日銀総裁の罷免権と金融政策の指示権があったから、Bは大切であった。名総裁であった森永さんと前川さんは、政治家に対する説得力があり、政界から尊敬されていた。
 しかし、今は新日銀法の下で、政府の総裁罷免権と政策指示権は無くなった。代わって、総裁の地位は衆参両院の人事承認によって、保証されている。政策決定は、日銀の政策委員会の多数決で決まり、政府は政策委員会に対する議決延期請求権しかない。
 このように日本銀行と金融政策の独立性が強まった代償として、日本銀行、とくに総裁は国民とその代表である国会に対して、重大な「説明責任」を負っている。
 つまり、昔の総裁は「政治家に対する説得力」が大切であり、今の総裁は「国民に対する説明力」が大切である。

【白川氏は武藤氏に勝るとも劣らない資質を持っている】
 政府の第1回人事案にあった武藤総裁候補は、Bに優れ、「政治家に対する説得力」を持っていた。これに対して、白川氏は@とAに優れ、「国民に対する説明力」を持っている。
 白川氏は大きな組織の長となった経験がないが、日銀内部ではそのマネージメント能力に定評がある。若い人や女性職員からも慕われている。
 58歳の総裁は最近では若い方だが、昔の新木、一万田、山際の各総裁はもっと若い時に就任した。現在国際的に見ると、米国とカナダの中央銀行トップは、白川氏より若い。
 地位が人を作る。白川氏には名総裁になる素質が十分にある。

【財金分離、中央銀行の独立性は歴史的知恵】
 福田総理は、「金融と財政は一体」であるべきだという自論で、武藤氏、田波氏、渡辺氏の三人の財務(大蔵)OBを、三回の人事案で日銀の正副総裁に推した。しかし、福田総理の考え方は、歴史的認識をまったく欠いていると言わざるを得ない。
 政府は国債発行という借り手の立場にあるため、低金利とインフレを好み、金融政策をその方向に従わせようとする。そのため大インフレを招いた歴史的経験は古今東西を問わず、枚挙にいとまがない程だ。その苦い経験から生まれた「歴史的知恵」が、財政政策を司る政府から、金融政策を担う中央銀行を独立させる法体系である。日本では、新日銀法によって政府の日銀総裁罷免権と金融政策指示権が消え、ようやくその「歴史的知恵」が実現した。

【日銀と財務省の意志の疎通は「天下り」がなくても充分に出来る】
 従って、「正副総裁の三つのうち一つは財務省の天下りポストというのはおかしい」という小沢民主党代表の言葉は、歴史的に見て正論なのである。
 財務省と日本銀行の意志の疎通は、新日銀法で保証されているように、政策委員会の政策決定会合に財務大臣が出席して意見を述べることによって、十分に出来る。マスコミは気が付いていないのかも知れないが、実は、日銀理事の六つのポストのうち一つは、少し前から財務省の天下りポストになっている。これも一つの意志疎通ルートであるが、このほかにも財務省と日本銀行が接触する方法はいくらでもあるので、意志の疎通を欠くようなことなどは、あり得ない。

【総裁人事が遅れた責任は政府・与党にある】
 日銀総裁ポストが三週間も空席になったのは、「ネジレ国会」を想定せず、人事案権承認の衆議院優位を決めておかなかった新日銀法の欠陥だ、という議論があるが、これもどうか。
 「ネジレ国会」という現実を踏まえて、政府・自民党は民主党に対して、非公式に複数候補を提示するか、容認できる複数候補を民主党に提示させるか、どちらかにすべきであった。
 しかし、人事案件はこれまですべて自分で決めてきた政府・自民党は、面子にこだわってそれが出来なかった。これが日銀人事が迷走し、空席が長引いた第一の原因である。
 第二の原因は、民主党の内部で、「物分りの良さ」を示して財務省OBを認める柔軟路線と、「筋を通して」財務省OBを認めない強行路線と、どちらをとるかに迷いがあり、意見が割れていた。それが、2月末の予算案強行採決によって、にわかに強行路線に傾いた。その変化を政府・自民党が読みきれず、財務省OBの総裁案に固執して二回も拒否され、空席が長引いたのだ(このHPの<政治評論>“日本銀行総裁人事の迷走”H20.2.25参照)。

【3週間の総裁ポスト空席は民主主義のコストとも言える】
 総裁の空席が3週間も長引いたのは確かにまずいし、始めに述べたように、もう少しでG7における日本の信用が失墜するところだった。
 しかし、「ネジレ国会」は民意を反映した結果である。この民意が無ければ、従来通り日銀正副総裁人事は政府・与党の密室で決まり、野党反対の下で、国会の承認を受けたのであろう。そうすれば、歴史的知恵を欠いた福田総理の「財金一体論」で、武藤氏が総裁に就いたであろう。
 あるいは武藤氏に支障があれば、田波氏が就いたであろう。田波氏は、かつて内閣審議室長として日銀法の改正に関与し、「独立性」という言葉を「自主性」に変え、「政府との関係」という条項で「政府の経済政策との整合性や十分な意志疎通」を書き込んだ張本人だという。これは当時の首相秘書官のTV証言である。
 「ネジレ国会」という民意の下で、透明性のある議論をしたからこそ、「金融政策を財政政策へ従属させる財金一体論」が密室で決まることを阻止できたのである。3週間の総裁ポストの空席は、民主主義のコストであったのかも知れない。

【日本初の学者レベルのエコノミスト総裁】
 日本銀行の歴史から見ても、今回の総裁人事はエポック・メイキングである。
 これまで大蔵省次官との「たすき掛け」人事で総裁に就任した日銀出身者には、一人も学者レベルのエコノミストは居ない。営業局で銀行を相手にし、また総務部で大蔵省を相手にしながら、いわゆる企画畑を歩いて来た人達か、国際金融畑を歩いて来た人達である。偉くなってから調査局長になった人も、いわば調査畑に勉強しに来ただけである。
 しかし、白川氏は大学が経済学部、シカゴ大学経済学部の大学院に2年間留学、特別研究室に勤務と、若いうちに学者レベルのエコノミストに育っていた。その上で、「平成金融恐慌」下の金融システムの維持、銀行相手から市場相手の金融政策への転換、グローバル時代の国際的金融連携、などの企画と実践に携わってきた。
 その識見と経験は、どの先進国の中央銀行総裁(その多くは学者レベルのエコノミスト)にも劣らない。
 日本の基準では若いので、始めは戸惑うかも知れないが、これ迄と同じ白川流で、総裁の職務を遂行して欲しい。国民も市場も海外も、必ず白川総裁を信頼するようになるであろう。

【残された副総裁一人の人事は事前に協議せよ】
 積み残しとなった副総裁一人の人事は、これ以上財務省出身者にこだわらず、金融に精通した民間エコノミストの中から起用するのが一案であろう。あるいは、日銀の内部管理に精通した元、あるいは現日銀理事の中から起用し、白川総裁の肩をすかせる手もある。正副総裁3人のうち2人が日銀出身という例は、新日銀法下の最初の正副総裁(速水・藤原・山口)に例がある。この場合政府は、事前に白川総裁の意見を確かめるべきである。
 いずれにせよ、政府・与党は面子にこだわらず、事前に民主党の許容範囲を確り確かめてから第4次案を提示すべきであろう。それが「ネジレ国会」の作法と知るべきである。