景気後退を裏付けた10〜12月期GDP統計(H17.2.21)

─ 日本経済は私の予測通りに動いている ─


【昨年4〜6月期から3四半期連続してマイナス成長】
   2月16日(水)に公表された昨年10〜12月期の実質GDP(1次速報値)と7〜9月期以前の改訂実質GDPは、日本経済の景気後退を裏付ける決定的なデータである。
   実質GDPの前期比(年率)は、04年4〜6月期−0.8%、7〜9月期−1.1%、10〜12月期−0.5%と3四半期連続してマイナス成長となった。普通、米国などでも、2四半期連続してマイナス成長となれば、景気後退と定義する。3四半期連続のマイナス成長となれば、政府が「足踏み状態」などと強弁しようとも、経済学的常識から言って、明らかな「景気後退」である。
   この結果、今回の景気回復期における実質GDPのピークは04年1〜3月期であり、4〜6月期からはマイナス成長期に入ったことになる(グラフ参照)。



【景気動向指数や生産・出荷指数は昨年中頃に景気転換点を迎えていた】
   既に景気動向指数は、一致系列が8、9、10月と3ヶ月連続して50%割れとなり、11月に50%を上回ったあと12月は再び50%を割った。先行系列は9、10、11、12月と4ヶ月連続して50%を下回っている。景気動向指数からみても、日本経済が景気後退に入ったことは明白である。
   昨年12月までの鉱工業生産と出荷を見ても、今回景気回復期のピークは昨年5月である。四半期ベースでみると、生産は7〜9月期、10〜12月期と2四半期連続して低下している。
   このような景気動向指数や生産・出荷指数の動向からみると、今回の景気回復は、月ベースでみると、昨年の中頃にピークを打って下方転換しており、四半期ベースの実質GDPが昨年4〜6月期から3四半期連続してマイナス成長になったことは、少しも不思議はない。

【予測できた今回の景気後退】
   このホームページの「月例景気見通し」(05年2月版)で、私は"10〜12月期で3四半期連続のゼロ成長近傍の動きとなる可能性が高い"と述べ、"現状は緩やかな景気後退ではないのか"と問いかけた。結果は、3四半期連続のゼロ成長どころか、3四半期連続のマイナス成長となった。これは政府がどう強弁しようと景気後退である。
   私は今年最初に発行された『週刊東洋経済』(平成17年1月8日号)に「日本経済は失速した」(このホームページの<論文・講演>欄に収録)という論文を発表し、「失速」という言葉で今日の事態を予測していた。

【景気後退が始まった需要面の理由】
   そこで予測した景気転換の主な理由は、次の4点である。
   第1に「純輸出」の景気牽引力が落ちてくる。事実、昨年の7〜9月期に続き、10〜12月期も「純輸出」の成長寄与度はマイナスとなった。
   第2に個人消費は、企業収益の増加が雇用者報酬を回復させる「景気好循環の輪が切れている」ため、立ち直りには期待できない。事実、昨年7〜9月期と10〜12月期の個人消費は、2四半期連続して減少した。
   第3に設備投資は輸出関連に偏っているため勢いはなく、やがて鈍化してくるであろう。事実、04歴年の設備投資の増加率は+6.9%にとどまり、前回00年の+8.7%や前々回97年の+11.2%を下回っている。05年は輸出関連設備投資がピークを過ぎるので、更に鈍化するであろう。
   第4に、政府は誤った強気の景気見通しに基づき、定率減税の打切りを始めとする国民負担の増加を強行しようとしている。これが一層個人消費の立直りを困難にするであろう。

【「山低ければ谷浅し」になるかどうか】
   04歴年の経済成長率は、結局+2.6%になった。と言っても、03年4〜6月期から04年1〜3月期までの+4.0%成長によって、04年第1四半期(1〜3月期)には既に+3.0%のゲタをはいていたからである。その後第2〜4四半期の連続マイナス成長でゲタを吐き出し、+2.6%に下った。
   これは前回00年の+2.4%よりはやや高いが、前々回96年の+3.4%を大きく下回る。今回の景気回復は決して大型ではなかった。
   しかし、景気循環には「山高ければ谷深し、山低ければ谷浅し」という経験則がある。前々回の景気の山は高かったが、その後に98年−1.0%、99年−0.1%と2年連続のマイナス成長という深い谷があった。前回の谷も02年に−0.3%とマイナス成長を記録した。
   今回は、05年にマイナス成長に陥るかどうかは、もう少し推移を見ないと分からない。とくにバブル期を上回る大企業製造業の高収益率が、設備投資の増加を支え、雇用者報酬の落込みを防ぐかどうかがポイントである。高い企業収益を反映して株価もあまり下がらなければ、景気の下支え要因になる。
   景気論の焦点は、ピークを打ったかどうかではなく、谷が浅いか深いかに移って来たと言えよう。