T.「この一冊」(『日本経済新聞』2016年7月17日号)
『試練と挑戦の戦後金融経済史』鈴木淑夫著(岩波書店)

“困難に向き合い続けた政策たどる”

福田慎一(東京大学教授)

 長年にわたって金融政策に深く携わってきた著者が、戦後の復興期から現在に至るまでの経済政策のあり方を、その歴史をたどりながら論じた力作である。戦後金融経済史の主要テーマが満載で、内容はきわめて濃い。物価の安定と経済発展という時には矛盾する目標を達成するため、失敗と成功を繰り返しながら、日銀は試練をいかに乗り越えてきたのか。著者の実体験やエピソードをもとに、リアルに描かれている。
 かつて「強い国・日本」と呼ばれ、目覚ましい成長が世界から羨望のまなざしで見られていた時代でも、金融政策は決して順風満帆に行われてきたわけではなかった。当事者は試行錯誤を繰り返しながら困難を克服し、挑戦を続けてきた。当時の金融システムが今日とは大きく異なっていたとはいえ、その時々の教訓は現在の金融政策を考えるうえで依然、有益である。
 バブルの崩壊を経て、日本経済は大きな挫折を経験した。1990年代末には、著者が「平成金融恐慌」と呼ぶ金融危機が発生し、市場は大きな混乱に見舞われた。公的資金投入など、不良債権問題の抜本的な解決が遅きに失したことや、金融危機の中で「自己資本比率規制」を適用し、「貸し渋り」や「貸しはがし」を生み出したことなど、当時の政策対応の問題点の数々が指摘される。
 その後の「失われた15年」は企業経営を弱気にさせ、賃金と物価の持続的な下落(デフレ)を日本経済にもたらした。98年に施行された新日銀法の下で、新たな試練が始まった。ゼロ金利と量的緩和という、経験のない金融政策への挑戦である。著者は、非伝統的な政策に対して、金融システムを安定させる効果や長期金利を引き下げる効果があったとして、その有用性に一定の評価を与えている。ただ、同時に「異次元」の「量的・質的金融緩和」や「マイナス金利政策」に関しては、その限界や副作用への懸念も呈する。
 金融政策の揺れ動きは、インフレやデフレ、バブルや金融危機を招き、われわれの生活を大きく振り回す可能性があり、そのかじ取りはいつの時代も海図なき航海である。インフレやデフレも悪であり、日銀は物価の安定を通じた持続的成長を目指すべきだという著者の主張は拝聴に値する。これからの日本で、生産年齢人口の低下など、趨勢的に潜在成長率を低下させる要因をいかに食い止めればいいのか。本著の最後に著者が未知の領域に突入した日本経済の行く末を案じた声は重い。



U.「Book Review」(週刊『エコノミスト』誌2016年7月29日号)
『試練と挑戦の戦後金融経済史』鈴木淑夫著(鈴木政経フォーラム代表、岩波書店)

“戦後の金融政策を採点
日銀総裁の毀誉や提言も”

丸山徹(慶応大学名誉教授)

 新聞の経済欄に目を通しながら、これはいつか見た風景だと思うことがある。経済の歴史にはしばしば同種の現象が少しずつ形を変えては繰り返し現れる。そのとき歴史は現在にたぐり寄せられ、生かされねばならない。
 本書は戦後日本経済の航跡を正確かつ簡明に描き、各時代の金融政策のあり方を評価した力作である。著者の数多い旧著との重複があるのは当然であるが、この作品は敗戦・復興から現在に及ぶ通史であり、しかも随所に新しい考察が加えられて、新鮮さを失わない。
 随分と書きにくいはずの毀誉もはっきりと書き留められている。1970年代のインフレ高進期に金融引き締めの機を失った佐々木直日本銀行総裁。他方、貨幣供給量の秩序ある早め早めの制御でインフレを抑えた森永貞一郎、前川春雄両総裁の器量。また80年代、やはり引き締めのタイミングを逸してバブルの発生を許した澄田智総裁、等々。本書は読みようによっては、興味深い日銀総裁論としても味わうことができる。深刻な金融危機を招いた97年の橋本龍太郎内閣の失政にも厳しい批判が加えられている。異論もあるが、私は鈴木説に賛成である。この苦い経験に学ばぬことから、いくたびも同種の誤りが繰り返された。
 現下の金融政策の評価と提言にも十分なスペースが割かれている。量的質的緩和政策は予想インフレ率の上昇、名目利子率の下落、これから実質利子率を下げ、総需要の増加と需給ギャップの縮小を図り、物価上昇を実現しようとするものである。しかし総需要拡大効果は微弱で、一方この政策からの脱却には著しい困難が伴う。マイナス金利の導入も効果は限定的で、しかも人々に量的緩和策の手詰まりを疑わせ、市場の不安定化を招くと著者は懸念する。
 黒田東彦総裁の強気の発言とは裏腹に、著者は異次元緩和策の早めの規模縮小・手じまいを提唱する。食料とエネルギーを除く消費者物価上昇率が1%を超えた現状の状態で、2%の目標にこだわる必要はないこと、また政策の実施は「サプライズ型」ではなく「市場との対話型」が望ましいこと―著者の意見はあくまでも建設的である。
 金融政策にはおのずから限界がある。それを見きわめるために、強い風圧のなかで慎重な姿勢を崩さなかった白川方明前総裁。その胸中を思いやる先輩としての著者の心情が読者にも伝わってくる。智と情の金融政策史である。


V.2016年「エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10」に入選


 毎年恒例の「エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10」(2016)に、鈴木淑夫著『試練と挑戦の戦後金融経済史』(岩波書店)が入選しました(12月25日付『日本経済新聞』19面)。
 これは、15人の経済学者・エコノミストが、2015年12月〜1206年11月に出版された経済図書のうちからベスト10を推薦し、順位の高さや推薦者の数などを基にランキングを作成し、10位までを入選とするものです。私の本は、丁度10位でした。
 「力作」として強く推薦して下さった選者は、福田慎一東大教授だと書かれています。有難いことだと思います。